WIE小論文navi:慶応大添削コメント例[文学部]07年(1)

このコメントは、WIE小論文navi添削講座「慶応大小論文(論述力試験・論文テスト)」で実際に行われたものです。


大学別小論文(慶大 文) 07年-1回目
(添削コメント)
  残念ですが、この年については、05・06年の小論文よりも評価が低くなってしまいました。設問Ⅰ・Ⅱのいずれも合格小論文答案とは評価できません。なぜなら、課題文・設問文に即した記述ができていないからです。特に設問Ⅱでは、課題文を無視して議論してしまっていました。以下に詳しいコメントを述べますから、参考にして、再提出の際は文句なしの合格圏の小論文答案を目指して下さい。

  それでは以下、個々のコメントです。
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設問Ⅰ
  対応する概念はよく抽出できているのですが、設問に沿ってこれらの概念を並べ、課題文の内容を再構成するという点で若干の問題があります。サルトルの問いの根源にある「文学」の本質と、この事例から筆者が抽出した「文学」の本質とを明確にし、設問の指示に沿って記述していけば、合格小論文答案として申し分のないものが作成できるでしょう。
  ヒントを申し上げれば、この「包囲されたサラエヴォ」の事例は、「文学とは平時を生きる者のみに意味のある奢侈品である」という文学解釈を根源にもつサルトルの問いに対して、「非常事態を生きる者たちが、他の誰にも増して文学を必要としている」ことを示したということですね。

a:「自分達」では何のことか分かりません。「われわれ」もしくは「平時を生きる」といった、課題文の概念通りの記述を心がけましょう。
b:日本語として文意が通りにくくなっています。ここは明確に、「平時を生きる者」と「非常事態を生きる者」との対比を示しましょう。
c:課題文では、「特権」という言葉は、「小説を著すこと」について用いられています。ここで文学そのものについて言うならば、「奢侈品」という概念を用いて表現すべきでしょう。文学を奢侈的なものとするサルトルの前提に対し、筆者は異を唱え、文学は人間が生きる上でもっと重要なものだと述べているのです。サラエヴォの事例は、この解答を具現化したものだということですね。
d:字数に限りがありますので、小論文に具体的事例を盛り込む余裕はないと存じます。
e:これは筆者の見解ですが、ここで問いに直接影響する部分ではありません。ここで重要なのは、「筆者は、文学が奢侈品ではないことを、非常事態にある者たちこそ文学の享受者であることを以て示している」という構造を示すことです。
f:日本語として文意が通りにくいので改めました。
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設問Ⅱ
  アドルノと筆者の立場の違いをふまえた解答になっていません。その点で、今回の小論文答案は大きな問題点を抱えていると言えるでしょう。
  アドルノの発言は内容把握が難しいと存じますので、少し説明しておきます。この発言を簡潔に解釈すれば、「詩などの芸術作品とアウシュビッツは、いずれも同じ文化・文明が発展したものである。人類は優れた芸術を生み出してきたが、そのいずれもが、ついにアウシュビッツに至る道を封じることはできなかった。その意味で言えば、従来の芸術活動のありようでは、その成果物の内部には、アウシュビッツに到達する野蛮さの可能性が常に内在する。」ということです。つまり、アドルノは、「文学と戦争との間には野蛮という共通項がある以上、文学を戦争の対義語とすることはできない」という立場を取っているのですね。
  このように、アドルノは戦争の加害者を生み出す人類の営みを、筆者は戦争の被害者を守る人類の営みを、それぞれ文学と結びつけています。両者の発言の違いは、ここから生まれるものです。この違いをふまえて「文学は戦争の対義語たりうるか」について述べる際には、どちらかの発言を棚上げしてしまっては、小論文の議論として成立しません。ましてや、両者の見解を吟味することなく独自の意見を展開するだけでは、設問の要求に応えたとは言えないのです。
  再提出の際は、この点を改める必要があるでしょう。

a:このように断じる前に、「戦争は文学の対義語たり得るか」について、両者の見解を整理して展開する必要があるでしょう。
b:何を指しているのか不明です。文学史に戦争や人々の生活の様子が描かれていると書かれていますが、文意が通じません。今まで書かれてきた文学作品に、ということでしょうか?
c:なぜそう思うのかについて、根拠が記されていません。作文などでは、ご自身の「思い」を綴っても問題はありませんが、第三者と思考を共有する「小論文」では、彼らを納得させるに足る根拠に基づいた見解を示す必要があります。
  また、このことによって、なぜ「文学が戦争の対義語たり得る」と言えるのか、言及されていない点も問題です。設問の問いに関係ないことは、論旨を混乱させるもとですから、小論文には一切書くべきではないのです。
d:このように言うならば、現在文学はその役目を終えていることになります。従って、現在の文学の在りようを明示せねば、「文学が戦争の対義語たり得る」とは言えなくなってしまいます。
e:事実認識に誤りがあります。絵画は文学作品ではありません。
x:課題文の記述を受けた議論になっていません。課題文末の一文を読む限り、筆者は「苦しみを忘れるため」という意味合いよりも、「その死を誰にも記憶されることなく死んでいった者たちの人間としての尊厳を担保し続ける」という役割を以て、文学を「戦争の対義語」と捉えていると推察されます。つまり、極限状況下で、虫けらのように簡単に殺されてしまった犠牲者を、犠牲者の集団、単なる数としてではなく一人の人間として扱い、彼らの精神的営みを丁寧に描き出すこと、つまり戦争が暴力的に奪ったものを回復するという点で、文学は戦争の対義語と言えるということですね。
  課題文を離れたご自身なりの文学論を展開してもかまわないのですが、その前に筆者の見解には軽く触れておく必要があるでしょう。「筆者はこのような理由で、文学は戦争の対義語たり得るとしているが、私の見解はそれとは異なる。それは、…」などといった小論文の記述法が考えられます。その上で、ご自身の見解について、根拠を明確にしながら述べるならば、議論としては立派に成立します。
  以上をふまえ、小論文答案の構成を全面的に再検討してみて下さい。ただし、字数制限もありますので、独自の見解で議論を成功させることは、相当に難しいということは、あらかじめ申し上げておきます。
y:アドルノの発言をふまえるならば、「では過去に幾冊も戦記が著されているにも拘わらず、未だに戦争がなくならないのはなぜか? こうした戦記は、戦争の抑止力にはならないのではないか? とすれば、文学はやはり戦争の対義語たりえないのではないか?」という疑問が当然起こってくるでしょう。余力があれば、こうした疑問にどのように対応するか、考えてみて下さい。
※:誤字が多いようです。注意して下さい。
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  以上を参考に、小論文答案を修正して再提出して下さい。

WIE西早稲田教育研究所
太田 玲

【通信欄について】
  仰るとおり、小論文では最重要概念(群)とその関係が正確であれば、大幅な減点はされないと存じます。ただし、課題文から抽出してきた概念群を結びつけていく際、日本語としての正確さにも気を配るようにして下さい。ここで文章の構造がねじれてしまいますと、結果として概念群の関係がおかしくなってしまうことになります。
  また、構想メモで字数の目算が立てられないとのことですが、メモ上では記号でも、課題文に書かれている語に戻ることはできるでしょう。面倒でもそうした復元を頭の中で行いながら、字数の目算を立ててみて下さい。


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