WIE小論文navi:慶応大添削コメント例[文学部]07年(4)

このコメントは、WIE小論文navi添削講座「慶応大小論文(論述力試験・論文テスト)」で実際に行われたものです。


大学別小論文(慶大 文) 07年-2回目
(添削コメント)
  前回指摘した部分が、適切に修正されていませんでした。そのため、設問Ⅰは依然として合格圏外の小論文答案ですし、設問Ⅱはギリギリで合格圏外の小論文答案と言えます(いずれもWIE基準)。
  講座もこれで最後ですので、いくつか全体的な注意点を申し上げておきます。まず、小論文答案を書いたあとは必ず読み返し、ご自身の記述が設問および課題文の文意に即したものになっているか、チェックする習慣を付けておいて下さい。また、「論証」の重要性を強く認識するよう心がけましょう。この点については、小論文過去問演習を重ねるうち、だいぶ身に付いてきたと感じますが、難関である慶應大学文学部の小論文試験を突破するレベルとしては、まだ少し不十分なようです。したがって、復習の段階でも、これを忘れずに小論文問題に取り組んでいって下さいね。
  A様の場合、基本的な国語力は十分なものが備わっていますから、論証の精密さと課題文読解力を高めることが、実力向上に効果的に働くと考えられます。志望校を目指し、最後まで気を抜かずに頑張って下さい。

  それでは以下、個々のコメントです。
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設問Ⅰ
  依然として「根源的な応答」に対応する小論文答案になっていません。前回cのコメントに対応できなかったことが、その理由として挙げられます。また、一部日本語としても設問の意図に沿わない表現になってしまっている箇所がありましたので、その点でも修正が必要でしょう。

a:前回cのコメントと同様です。「文学の本質=奢侈品」という解釈が可能なサルトルの問いに対し、「文学とはもっと切実に人間に必要なものである」ということを、サラエヴォの事例が示したという関係になっています。
b:設問は、「筆者がどうした」とは聞いていません。また、これは課題文全体の要約ではありますが、「サルトルの問い」に対して「サラエヴォの事例」が「一つの根源的な応答であった」ことの理由としては不適でしょう。
  したがって、残念ですがこの部分は、全面的に削除すべきかと考えます。

※参考までに、小論文答案例を提示しておきますので、復習の際にはお役立て下さい。これが唯一の正解というわけではありませんが、設問の要求に応え、課題文の内容に沿った記述となっていることを確認して頂ければと思います。
【解答例】(195字)
  サルトルの問いは、文学を享受するのは平時を生きる「われわれ」であって、戦争や飢えなどの非常事態下にある「彼ら」ではないことを前提としていた。このように考えるなら、文学とは平時にのみ求められるべき奢侈品ということになる。文学の根源に関わるこうした問いかけに対し、包囲下のサラエヴォでの『ゴドーを待ちながら』の上演は、「彼ら」が「われわれ」以上に文学を必要としていることを示すものだったから。
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設問Ⅱ
  テーマに対するアドルノ・筆者の見解を解釈し、それをもとに議論を進めている点は大変結構だと存じます。しかし、肝心の自説の論証において、一部に恣意的な解釈がふくまれてしまいました。ここで要求されているのが「小論文」である以上、自説には、読者一般の納得のいく論証が必要となります。これを欠いてしまっては、感想文や作文になってしまいます。

a:前回の指摘を容れ、冒頭でアドルノ・筆者の見解に対して解釈を加え、テーマに対する両者の立場を明確にした点は高く評価できます。なお、アドルノの発言の解釈には問題はありませんでしたが、筆者の解釈については、若干課題文の記述と反するものになっていますので、修正しておきました(詳しくはbをご覧下さい)。その他の修正は、記述の簡略化、及び修辞に関するものです。
b:課題文の内容に照らして齟齬があります。筆者は、課題文全体の記述を以て「文学は戦争の対義語たりうる」と考えているのではありません。課題文は、前半で「文学が非常事態下で必要とされること」を示し、後半で「文学が戦争の対義語たり得ること」を述べています。その点を明確に分けて考えねばなりません。したがって、ここで「必要とされる」という概念を盛り込むのは不適だと言えます。
  『アーミナの縁結び』のくだりから読み取れるのは、「戦争が奪った人間の尊厳が、文学によって回復される」ということでした。これを以て、筆者は「文学は戦争の対義語たりうる」と述べているのです。
※以下は、A様の思考が不明確な点に問題があるものです。残念なことに、A様のお考えは、明示して頂かない限り、A様ご自身にしか理解不能です。したがって、ここでは問題の指摘のみにとどめさせて頂きました。その代わり、小論文解答例を以下で示してあります。A様のお考えとは若干異なる点もありますが、論証の仕方について、参考にして頂ければと存じます。
c:アドルノの見解を提示しておきながら、その発言を考慮せず、一方的に筆者の見解を支持している点に問題があります。筆者と同様の見解に立つならば、アドルノの指摘は誤っていることを示すか、あるいはアドルノの発言が及ばない範囲に限って論証するか、いずれかの形で小論文の議論を進めていかねばならないでしょう。
d:論証がなされていません。このように考えるのであれば、なぜそう言えるかを説明せねばなりません。同時に、「一般的に考えられる戦時に必要なもの」とは何か、「人間的」とはどのような状態を指すのか、A様ご自身の考えを提示しませんと、読み手にはA様の見解の具体像がつかめず、それに納得しかねるのです。これがご自身の自説の論拠となる重要な部分だけに、その論証がまったく行われていないというのは致命的でした。
e:前文と後文がうまくつながっていません。したがって、なぜ人間性を無視されている状況だと文学を享受するのか、読み手には理解できません。
  あるいは、「このため、人間性を無視された状況で、人間は文学を享受するのである。」などの形で、前文と繋ぐべきだったかと考えます。

【小論文解答例】(20字×26行)
  テオドール・アドルノの見解は、「野蛮」という共通項がある以上、文学は戦争の対義語たりえないというものだ。一方筆者は、人間性を暴力的に破壊する戦争と、その中で人間性を守る文学という構造を示し、両者の対義関係を表現している。
  確かに、第2次大戦以前の文学は、アドルノの指摘通り、アウシュビッツと同じ文化・文明に根ざしたものだったかもしれない。しかし、人間の営みを破壊する戦争の行為を暴き、戦争が破壊した人間の尊厳を回復する限りにおいて、今後の文学については、筆者同様、戦争の対義語たり得ると私は考える。
  この好例として、『アンネの日記』が挙げられる。著者である少女は、第2次大戦期のユダヤ人迫害で命を落とした。この迫害の犠牲者は600 万人と言われるが、彼女の日常を記したこの本を読む者は、単に600 万分の1という数字ではなく、自分と同様に生を享受した1人の人間として、彼女を実感できる。こうして、戦争が暴力的に毀損した彼女の人間性は回復されるのだ。
  また、戦争が蹂躙したものに目を向けることで、戦争を知らない者にもその愚かさ・悲惨さが伝わる。このとき、文学は、戦争を抑止しうる力をも備えていると言えるだろう。
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  以上です。これで講座は終了しますが、試験まで気を抜かず、合格目指して努力していって下さいね。
  最後となりましたが、A様の試験でのご健闘を、心よりお祈りしております。

WIE西早稲田教育研究所
太田 玲


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