WIE小論文navi:慶応大添削コメント例[文学部]07年(5)

このコメントは、WIE小論文navi添削講座「慶応大小論文(論述力試験・論文テスト)」で実際に行われたものです。


大学別小論文(慶大 文) 07年-1回目
(添削コメント)
  課題文の内容はほぼ把握できているようですが、特に設問Ⅱで、設問文の理解が不足しているようです。テオドール・アドルノは、「サルトルの問い」から発展して、「アウシュビッツの後で詩を書くことは野蛮だ」と言っているわけではありません。「非常時の者」としての経験を多少なりとも持つ彼のこの発言を受け止め、解釈した上で小論文解答を作成して頂きたかったところです。

  なお、「ご自身の小論文の点数」をお知りになりたいとのことですが、WIEではお送り頂いた小論文答案に点数を付けることはしていません。したがって、ご要望にはお応え致しかねますので、ご了承下さい。
  小論文の採点基準は、設問の要求に応え、論証に矛盾がない文章を書けているか否かです。つまり、満点か0点かのいずれかしか存在しないことになります。もちろん入試では、学生を確保するためある程度の部分点を設けて対応しているのでしょうが、この採点基準は各大学・学部(学科)・年度でまちまちです。従って、こうした採点基準を使い、総合的に能力を判定することは建設的な策ではないし、そもそも不可能だとWIEは考えているのです。
  せっかく小論文講座を受講されているのですから、文句なしの合格圏小論文を目指し、過去問題に取り組んで頂きたいと思います。この能力は大学に入ってからも必要とされますから、今身に付けておくことは、決して無駄にはならないはずです。

  それでは以下、個々のコメントです。
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設問Ⅰ
  おそらく、課題文の内容・設問の要求を大まかにはつかんでいらっしゃるのだと思います。しかし、一部に小論文解答者の課題文解釈の誤りを示唆する記述があるほか、課題文からの概念抽出に問題がある箇所があります。その点から判断して、今回の小論文答案は、合格圏まであと一歩、という段階にあると位置づけました。
  小論文全体にかかわる大幅な修正は必要ありませんが、文章の構造を少し変え、課題文通りの概念構成を再現するよう心がけて下さい。

a:概念は正確に記述しましょう。サルトルは、単純に「文学に何ができるか」という問いを発したのではありません。「アフリカで子どもが飢えているとき文学に何ができるか」と問うたのですから、この限定を外しては、課題文の内容と齟齬が生じてしまいます。
  この限定が冗長だというなら、「サルトルの問い」という形で示すことも可能でしょう。
b:ここで「われわれ」という言葉を用いるならば、b'の部分に「彼ら」を盛り込み、課題文での対応関係を正確に写し取る必要があります。またb部分に、「われわれ」というのが具体的にどのような人びとなのか、説明を加える必要があるでしょう。
c:上で述べましたが、課題文解釈の誤りが生じている部分です。課題文は、「もし考えるとしたら」といった形で示しているように、「サルトルの問い」の根源にあるものの解釈を行っているわけです。ですからここは、「このような考えのもとでは、」などのつなぎの言葉が妥当だと考えます。
d:これがサルトルの問いの根源にあることを明示しましょう。そうすることで、包囲されたサラエヴォ(=非常事態下)で、『ゴドーを待ちながら』という演劇(=広義の文学)を上演すること(観客=文学を享受する者=「彼ら」という状況ですね)が、サルトルの問いの根源に応答するものだったことが、より明確になります。
e:確かにこれも筆者の見解としては重要な概念なのですが、この設問に対応した小論文解答を作成するには不要です。「彼らは平時を生きる者以上に文学を必要としている」という以下の記述があれば、それで必要にして十分です。
  ここで簡単に示しておきますと、設問Ⅰに対する解答の骨子は、「包囲されたサラエヴォという非常事態下で『ゴドーを待ちながら』を上演することは、サルトルの問いの根源にある、文学とは平時を生きる者のみに意味のある奢侈品だという考えに対して、非常時に生きる者もまた文学の享受者たりうることを示したものだから」ということです。
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設問Ⅱ
  テオドール・アドルノの発言の解釈に大きな誤りを抱えています。従って、大幅な書き直しが必要となるでしょう。
  先にも述べましたが、アドルノはサルトルと同様の考えでこのような発言を行ったわけではありません。設問でも触れられていましたが、彼は「ユダヤ人」としての非常時を経験しています。「われわれ」の視点から述べたサルトルの問いとは、異なるアプローチで述べられたものと解釈すべきでしょう。
  この発言の意味を簡潔に説明すれば、「詩などの芸術作品とアウシュビッツは、いずれも同じ文化・文明が発展したものである。人類は優れた芸術を生み出してきたが、そのいずれもが、ついにアウシュビッツに至る道を封じることはできなかった。その意味で言えば、従来の芸術活動のありようでは、その成果物の内部にアウシュビッツに到達する野蛮さの可能性を秘めている。」ということです。つまり、アドルノは、「文学と戦争との間には野蛮という共通項がある以上、文学を戦争の対義語とすることはできない」という立場を取っているのですね。
  この点を把握した上で、「文学は戦争の対義語たりうるか」を述べねばなりません。ヒントを申し上げれば、対義語とは「正反対、あるいは対の関係にある語」を指します。文学と戦争とはどのような関係にあると思うか、課題文の記述から少し離れて考えてみて下さい。例えば、文学は戦争を阻止する可能性を秘めているものかなどについて考えることから始めていけば、ご自身の見解をまとめることができると思います。

a:上で述べた、アドルノの発言を誤って解釈している部分です。上の解説を参考にして、アドルノの発言を正確に筆者の見解と対比させて説明してください。
b:筆者の見解を、設問に対応させて解釈して下さい。ここで書かれている記述は課題文中にあったものですが、「文学は戦争の対義語たりうる」という筆者の見解に直接結びつきません。
  筆者は、戦争を「人間性を暴力的に奪うもの」ととらえています。一方文学は、それを享受するという営みを通じ、戦争に日常を浸食されていく人びとの人間性を守るという意味合いで、「文学は戦争の対義語たりうる」といっているのですね。
c:これでは、「戦時下に生きる者にとって、文学は戦争の対義語たりうるか」という議論になってしまいます。アドルノは人類一般に対してこの発言を投げかけているのですから、ここで議論を「戦時下に生きる者」に限定してしまうのは問題でしょう。
d:小論文では、課題文筆者の指摘と同じ事例を探すだけでは、自説を論証したことにはなりません。「戦争で死んだ者の人間性を担保する」ことが、文学と戦争とのどのような対義関係を示すのか、ご自身で解釈し、説明を行って下さい。
e:アドルノの発言に対してこれを反論とするには、「平和を希求する」というのが果たして人間の根源と言えるかどうかを明らかにせねばなりません。
f:ご自身の意図を正確に文章化して下さい。現状では、「平和を希求する人間の根源に関わる戦争」とも読み取れ、意味が取りにくくなっています。
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  以上です。

WIE西早稲田教育研究所
慶応大学小論文担当
太田 玲


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