WIE小論文navi:慶応大添削コメント例[文学部]07年(7)

このコメントは、WIE小論文navi添削講座「慶応大小論文(論述力試験・論文テスト)」で実際に行われたものです。


大学別小論文(慶大 文) 07年-2回目
(添削コメント)
  初回に従って小論文を修正して頂きました。ただし、諸処に改善は見られるものの、設問に対応しきれていない点や課題文解釈がまだ十分とは言えないという点で、問題が残っています。
  現在の小論文答案は、仮に昨年の試験に提出したとすれば、受験者全体の能力偏差に小論文答案の合否が左右されてしまうレベルです。文句なしの合格小論文答案を目指し、修正を加えましたので参考にして下さい。

  以下、個々のコメントに参ります。いずれも簡単な修正ですが、小論文答案の根幹に関わるものであることを確認し、こうした点についても怠らず注意して頂きたいと思います。F様の場合、これさえクリアできれば、課題文理解は十分ですから、すぐに合格圏の答案になると存じます。
────────────────────────────────────────
設問Ⅰ
  大筋ではよく書けています。しかし、末尾に課題文の内容を拡大解釈している記述がありましたので、この点で評価を下げざるを得ません。したがって、今回の小論文答案は、前回よりも完成度は上がっているものの、ギリギリで合格圏外、と判定させて頂きました。課題文の記述を正確に受け止め、小論文答案に反映して頂きたいところです。

a:コメントbで字数が増えますので、そのための調整です。
b:ここで「実際は」などと、この事例を一般化・普遍化した上で、筆者の解釈を断定的に述べるべきではありませんでした。あくまで筆者がその考え方に沿って、この事例を解釈したものだということを忘れてはなりません。これは常に正しい「事実」「実際にあったこと」ではなく、「1つの考え方」なのです。
  また、この事例だけでは、「文学は平時を生きる者のみに意味のある奢侈品」という考え方に対して反証を示したことまでしか述べられないでしょう。「文学は『彼ら』のためにある」というのは筆者の考え方ですが、この事例だけから導き出されたものではありませんね。その点も含め、この部分は以下のように修正すべきだと考えます(88字)。
包囲下のサラエヴォでの『ゴドーを待ちながら』の上演は、サルトルの問いの根源にあるこのような考えに対し、「彼ら」が「われわれ」以上に文学を必要としていることを示すものだったから。
────────────────────────────────────────
設問Ⅱ
  前回のヒントを恣意的に解釈しすぎてしまいました。したがって、今回もまた合格圏の小論文と判定することはできません。「こうだからこうなる」という論理の流れを意識しながら、課題文や設問文の内容を理解するように努力しましょう。
  ご自身の考えに沿って課題文や設問を歪めて解釈してしまっては、例え小論文答案内でのつじつまがあっていたとしても、「正答」からはどんどん遠ざかってしまいます。そのことを肝に銘じて頂きたいと思います。

a:「文学」と「戦争」に対するテオドール・アドルノと筆者の見解について、正確に解釈できていません。アドルノは、文学と戦争とは同じ文化から生まれた共通のものであると見なしています。一方筆者は、戦争と文学とは、それぞれ「人間性」に対し相反した働きかけを行うという意味で、「文学は戦争の対義語たりうる」と表現しているのですね。
  この点を明確にしながら、両者の説明をして頂きたかったところです。
b:正確な議論の手続きを踏んでいません。なぜ、文学が奢侈品ならばアドルノの見解は正しいのでしょうか。小論文解答者がこう考えた理由を明らかにしなければ、議論はそこで止まってしまいます。以下にこの部分の修正例を示しますので、参考にして下さい。
  なお、小論文添削者がF様の思考を完全に共有することは不可能です。したがってこの部分は、添削者自身の考えを以て補ったものです。F様のお考えとはあるいは異なる部分もあるかとは存じますが、ご了承下さい。また、こうした点も考え合わせ、ご自身で再度復習しておかれることをお勧めします。
c:文学が戦争の対義語であることをこの事例で説明するのですから、ここで既に文学を戦争の対義語であるかのように扱うのは問題です。そのためか、この段落全体を通して、文学が戦争の対義語であるとはどのようなことか、読み手に分かる形で説明ができていません。彼女の尊厳がどのような形で回復されるのか、説明して頂きたかったところです。

  以下、小論文解答例を示します。一言一句暗記する必要はありませんが、課題文・設問文を理解していることを示し、その指示に沿った文章とはどのようなものか、確認して下さい。

【小論文解答例】(20字×26行)
  テオドール・アドルノの見解は、「野蛮」という共通項がある以上、文学は戦争の対義語たりえないというものだ。一方筆者は、人間性を暴力的に破壊する戦争と、その中で人間性を守る文学という構造を示し、両者の対義関係を表現している。
  確かに、第2次大戦以前の文学は、アドルノの指摘通り、アウシュビッツと同じ文化に根ざした野蛮なものだったかもしれない。しかし今後の文学については、私は筆者同様、戦争の対義語たり得ると考える。文学は、人間の営みを破壊する戦争の行為を暴き、戦争が破壊した人間の尊厳を回復するものだb。
  この好例として、『アンネの日記』が挙げられる。著者である少女は、第2次大戦期のユダヤ人迫害で命を落とした。この犠牲者は600 万人と言われるが、彼女の日常を記したこの本を読む者は、単に600 万分の1という数字ではなく、自分と同様に生を享受した1人の人間として、彼女を実感できる。こうして、戦争が暴力的に毀損した彼女の尊厳は回復されるのである。
  また、戦争が蹂躙したものに目を向けることで、戦争を知らない者にもその愚かさが伝わる。このとき、文学は、戦争を抑止しうる力をも備えていると言えるだろう。
────────────────────────────────────────
  以上です。

WIE西早稲田教育研究所
大学別小論文担当
太田 玲

【通信欄について】
  必ずしも具体例が必要というわけではありませんが、具体例を用いながら考えると、説明がしやすくなるという点でお勧め致しました。抽象度の高い次元で、読み手にも理解できる形で小論文の論述を行うのは非常に難しいですが、それが可能ならば、そのようにしても一向に構いません。
  大切なのは、設問の規定に背かないように、首尾一貫した議論を行うことです。それ以外は、小論文解答者の裁量次第と言えるでしょう。


・重要なお知らせはありません (2012/2/8)  ≫詳細