WIE小論文navi:慶応大添削コメント例[法学部]05年(1)

このコメントは、WIE小論文navi添削講座「慶応大小論文(論述力試験・論文テスト)」で実際に行われたものです。


大学別小論文(慶大 法) 05年-1回目

提出して頂いた小論文答案を拝見しました。05年度の小論文の特徴は課題文の難易度が高く、相当慎重に読解しないと、出題意図が正確に把握できない点にあると言えます。
  小論文答案の要約を見る限り、A様の読解力は決して低いものではないのですが、後の論述を読む限り、読み取った重要概念(=共通善)を的確に利用できていません。このことから、残念ながらWIEの基準ではあと一歩合格圏には至っていません。
  こうなってしまった原因は、課題文を単独で読み取ってしまい、設問文の視点(=「権力と国民」)から、課題文を読み取る作業が不足していたためではないかと思われます。

  それでは、提出された小論文答案に対して具体的な改善コメントを記していきましょう。

■ 答案に書き入れました赤字が改善すべき点です。abc……の記号に対応するコメントは下段に記入してありますのでご参照下さい。記号のない箇所については、単純な誤記や分量調節のためのものです。
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a 課題文の重要概念「共通善」と「暴政」をおさえて要約を示しています。以下の論述では、この二つの重要概念との関係を示しながら論じるようにしましょう。
ただし、後の論述を読む限り、「暴政」の理解が不十分であったようです。提出された要約を参考に、暴政と共通善について考察してみると、答案※1「特定の個人や集団にとって(だけ)の善」が「暴政」に相当し、答案※2「政治共同体全体にとっての善」が共通善にあたることになります。そうすると、暴政と共通善は共に善を追求するものであり、異なるのは、利益がもたらされる範囲が異なるということになります。なお、注意しておいてもらいたいのは、「特定の個人や集団にとっての善」は必ずしも、「政治共同体全体にとっての善」と反するとは限らないということです。
  そうすると、共通善の考え方を利用して、「権力と国民」を議論するには、「国民全体の利益」と「一部の国民の利益」が相反する事例を取り上げて、権力者が、「一部の国民の利益」を実現しがちであることを説明すればよいことになります(課題文の筆者の主張に同意する場合)。
  なお、共通善の考え方に賛同しないのであれば、共通善の考え方の欠点を指摘する必要があります。小論文答案はこの方針で作成されていますが、残念ながら共通善の考え方を理解しないままで的ハズレの反論を行っています。課題文の筆者の見解に賛成しない方針で小論文答案を作成されるのは結構なのですが、そうであるとしても、課題文の筆者の主張を正確に理解していることが前提となります。課題文の誤解に基づく批判では大学側に評価されません。
  さて、課題文の説明だけでは、「共通善」の意味が今一つわかりにくいかも知れませんね。そこで、課題文で事例として挙げられている「ナチスドイツ」を例として、補足説明しておきます。
   ナチスドイツのユダヤ人迫害(=共通善に反する行為)は有名ですが、ナチス党は、決してクーデターによって政権を掌握したのではなく、極めて民主的な手続きの代表である「普通選挙」で選ばれました。多くの人が政治に関心を持ったからと言って、選挙の結果誕生する政権が、共通善を目指す政治をするとは限らないのです。
   課題文では、「ナチス政権下のドイツ人の多くによって、その政治の異常さがまったく意識されなかった」とありますが、異常の本質的な問題は、「共通善」を求めない国民自体にあったと課題文は訴えているのです。当時、ユダヤ人が多くのドイツ人(それだけではなく、多くのヨーロッパ人に)嫌われていたのは事実で(「ベニスの商人」に出てくる金貸しシャイロックはユダヤ人です)、これを利用して、ナチス党はユダヤ人迫害の政策を行い圧倒的多数の国民から支持されたのです。
   国民一人ひとりが共通善を求めるのではなく、個々人の利益代表を選ぶのであれば、多くの人が政治に関心を持ったとしても、選ばれた人は、「国民の多数という名でも一部の代表(≠政治共同体全体の善を求めない人)」になってしまうのです。ここに、共通善実現の難しさがあります。
b 設問では、「権力と国民」について、課題文に登場する「共通善」の考え方を利用して小論文で論じることを要求しています。従って、権力と国民の望ましい関係について、共通善の考え方が生かされるべきかどうか、A様の立場を示すことが要求されるということになります。
   しかしながら、提出された小論文答案のこの部分は、「権力と国民」について論じておらず、また共通善の考え方が利用されるべきかどうか説明していません。例えば、「国民一人一人の権利が保証されること」は、「権力と国民」や「共通善」とどのような関係にあるのでしょうか。関係が説明できないのであれば、不適切な内容だったということになります。
c これは共通善が達成されている状態だとA様は考えるのでしょうか。ただし、これは、aの部分で述べたように、「多数派の要求を満たすこと」≠「共通善」ですから、事例を含めて、再考するべきということになります。
d 国民が反対していたのにもかかわらず民主主義を導入したとすれば、王様は共通善に反した政治を行ったことになるのではないでしょうか。また、導入後に、国内の大混乱を招いたとすれば、ブータンの事例は、共通善の問題点を指摘する根拠になるのではなく、民主主義より、共通善の方が価値があることを示す事例だということになってしまいます。現在の小論文答案は、解答者の主張と用意した事例との間に不整合があるのです。
e A様は、「権力と国民」の関係について、共通善の考え方が利用されるべきと考えているのか、それとも、共通善の考え方を利用するとなんらかの弊害があると考えているのでしょうか。こうした内容に触れないと、設問の要求に応えていないことになります。
※ 課題文では、「政・官・財界の癒着」・「年金制度の危機」・「教育の問題」等が取り上げられています。こうした中から、共通善や暴政の関係を説明する具体例を提示することでも解答は作成できます。例えば、公共工事を巡る談合を例に挙げて論じれば、一部の利益が全体の利益と反していることを説明しやすいと思います。
   また、課題文の筆者の主張に同意しないのであれば、共通善の考え方の問題点を筆者の述べる共通善の意味を理解した上で、共通善の考え方の問題点を指摘することになります(解答作成は可能ですが、こちらの方針のほうが小論文答案作成は難しい)。
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  上記コメントを参考にして小論文答案を修正し、再提出して下さい。
  再提出の答案を心よりお待ちしています。

【通信欄について】
  小論文ではよく「自由に論じなさい」と指示されることがあるのですが、これはあくまで、設問文や資料(課題文)を踏まえた上で、その範囲内での自由を指します。
  今思いついた例で恐縮ですが、例えば、幼稚園で、「画用紙にクレヨンで自由に絵を描いて下さい。」とあったとしましょう。いくら自由だからと言って、マジックで画用紙に絵を描いてはいけませんし、またクレヨンを使ったとしても、画用紙ではなく、床に絵を描くことは許されませんね。ましてや、パソコンを使って絵を描いたりするなどもってのほかです(仮にプロ顔負けの優れたデザインであったとしても)。つまり、「自由」とあっても、その範囲は限定されているということです。
  大学受験の小論文はこれと比べれば複雑ですが、基本的な構造は同じです。自由が限定される範囲が、「画用紙」や「クレヨン」から、「権力と国民」や「共通善」などに変わったと思っておけばいいわけですね。こうした限定を無視すると、いくら論述それ自体が素晴らしい文章でも、大学側には全く評価されません。
  ただ、大学受験の小論文でやっかいなのは、設問文だけを読んでも、論述の自由が限定される範囲が今一歩はっきりしない点にあります。例えば、「共通善」は、課題文を読解して、解答者なりにこの概念を把握しなければいけませんね。設問文を読んだ段階では、設問の要求を受験生が正確には理解できないことを前提にこの小論文が課されています。
  現在の答案は、形式的には、「共通善」を盛り込んでいるものの、先に説明したように、事例(=ブータンの民主化)との対応関係を十分に検討できていないために、共通善の考え方を正確に理解できていないと大学側に評価されます。
  なお、小論文設問の要求の理解には、共通善の概念の正確な理解といった高度な「読解力」だけでなく、「注意力」も要求されます。先に述べたように、幼稚園児のお絵かきでは、「画用紙」や「クレヨン」が制限を与えましたが、今回の論述では設問文にあるように、「権力(=国家権力)と国民」を忘れることはできません。設問文を軽視していると、頻繁に痛い目にあうので、こうした点についても十分注意するようにして下さい。

西早稲田教育研究所
受験小論文講座担当
中島 泰平


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